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NPO 法人ミラツク · RITEVol.001 / 2026.05.30 (Sat) / No.0247
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DEEP DIVE/深掘りの問いと記事

原状回復の幻想が失敗感を仕立てる

なーちゃん
2026.06.05
ORIGIN / 元記事回復は、元に戻ることをやめたときに始まるby 神田ゆりあ
QUESTION / 元の問い

元に戻れていない=失敗という感覚はどこからくるのだろうか

「元に戻れていない」という感覚が失敗に見える理由は、時間を可逆的なものとして扱う近代特有の時間観にある。哲学者アンリ・ベルクソンは1889年の『時間と自由』において、時計が刻む「空間化された時間」と内的に流れる「持続(durée)」を峻別した。近代社会は前者を採用し、出来事を線形の座標上に並べて「A地点に戻れるか否か」で回復を測る。この枠組みの中では、変化した自分は誤差であり、補正されるべきものになる。

神経科学者アントニオ・ダマシオは1994年の『デカルトの誤り』で、身体と感情が過去の経験によって恒久的に再配線されることを示した。つまり「元の自分」とは神経科学的にも存在しえない。さらに文化人類学者メアリー・ダグラスは1966年の『汚穢と禁忌』で、「あるべき場所に収まらないもの」が不純物として排除される構造を論じた。「変化した自分」は、社会が設定したカテゴリー(健康な労働者)から外れた存在として、失敗のラベルを貼られやすい。

日本の哲学者西田幾多郎は1911年の『善の研究』で、自己とは固定した実体ではなく「純粋経験の流れ」だと論じた。この視座に立てば、回復とは流れを元の川床に戻すことではなく、新しい地形で流れを続けることになる。では、「失敗ではない変化」を社会が承認するためには、どのような言葉や制度が必要なのだろうか。

DEEPER/学術的観点から

ベルクソンの「空間化された時間」批判は、彼の博士論文『意識に直接与えられたものについての試論』(1889年、パリ大学)に端を発し、後に英訳『時間と自由意志』として広まった。彼が標的にしたのは、時間を均質な点の連続として扱うニュートン力学的世界観である。この思想は産業革命後の労働管理・医療リハビリ双方に浸透し、「回復期間の標準化」という概念を生んだ。標準期間を過ぎても「元に戻っていない」者は逸脱者として可視化される。さらに社会学者エミール・デュルケームが1893年の『社会分業論』で論じたように、近代社会は個人の機能を役割として固定化し、機能不全を個人の失敗として内面化させる構造を持つ。この二重の圧力——均質な時間と役割の固定化——が「元に戻れていない=失敗」という感覚の構造的な出所である。

KEY REFERENCE/参考文献
  • アンリ・ベルクソン (1889). Essai sur les données immédiates de la conscience, Félix Alcan, Paris
  • アントニオ・ダマシオ (1994). Descartes' Error: Emotion, Reason, and the Human Brain, Putnam, New York
  • メアリー・ダグラス (1966). Purity and Danger: An Analysis of Concepts of Pollution and Taboo, Routledge & Kegan Paul, London
  • 西田幾多郎 (1911). 『善の研究』弘道館、東京
  • エミール・デュルケーム (1893). De la division du travail social, Félix Alcan, Paris
ORIGIN / 元の記事
回復は、元に戻ることをやめたときに始まる
著者: 神田ゆりあ
なーちゃん
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