- NO.00066 MINNEW公開 2026.07.18三太郎CMが書き換えた伝承の身体と、物語を楽しむ権利
昔話の主人公が広告に召喚される日、子どもは何を失うか
桃太郎は桃から生まれた。そのことを、いまの小学生はどこで知るのでしょうか。テレビをつければ、桃太郎は松田翔太が演じる若者であり、浦島太郎・金太郎とつるんでスマートフォンの料金プランを語ります。auの「三太郎」シリーズは2015年の放映開始以来、高視聴率と高好感度を維持し続け、3人の昔話の主人公を「現代の友人グループ」として茶の間に定着させました。子どもが物語に自分で出会う前に、企業が用意したキャラクター像が先に脳裏へ刷り込まれる。これは単なる「CMが面白い」という話ではありません。伝承とは本来、語り継がれるたびに聴き手が意味を受け取り直す、生きた公共財です。その財が、子どもの同意も関与もないまま、大人の経済論理によって上書きされているとしたら——その静かな収奪を、私たちはまだ問い始めてもいません。
- NO.00058 MINNEW公開 2026.07.18コモンズという第三の道――自由・資本・ガバナンスをめぐって
コモンズは、支配されない自由を制度に変える
「人新世の資本論ーコモンズと新しい豊かさ」のパネルを終えた夜、頭に残ったのは一つの問いだった。私有でも国有でもない第三の道を語るとき、私たちは何を守ろうとしているのか。土地、データ、知識、文化――それらを「みんなのもの」と呼ぶのは易しい。しかし、誰がルールをつくり、誰が排除され、誰の利益に資源が向かうのかを問わなければ、コモンズは美しい理念のまま空洞になる。コモンズの本質は所有形態ではなく、ガバナンスにある。そしてガバナンスの問いは、自由とは何かという哲学の問いと、実は同じ根を持っている。
- NO.00046 MINNEW公開 2026.07.18「またいつか、準備ができた頃にくる」と言われてから、やってきてくれません。このまま待つしかないのでしょうか。
「またいつか、準備ができた頃に来る」──あの2分が終わっていない理由
深夜、何かの気配で目が覚めた。部屋の空気が変わっていた。銀白色の、私よりふた回りほど小さなヒトが、そこにいた。言葉は聞こえなかったが、問いは届いた——「2分で決めろ。今から一緒に行くか」。2分は、長すぎるほど短かった。あるいは短すぎるほど長かった。私は決められなかった。その存在が薄れていく最後の瞬間に、言葉だけが残された。「またいつか、準備ができた頃に来る」。それから、来ない。あの言葉は嘘だったのか。それとも私はまだ、何かが足りないのか。この問いを抱えたまま、私はここに書く。
- NO.00038 MINNEW公開 2026.07.18乳幼児における玩具や遊具としてのスマホ
スマホは、遊びの「中間領域」を埋めてしまう
2歳ぐらいの子どもが親のスマートフォンを手に取り、画面を指でなぞる。絵が動き、音が鳴り、また指を動かす。その集中した顔は、積み木を積むときとも、砂をつかむときとも、どこか違う。微笑ましさとともに、何かが引っかかる。その「引っかかり」は、単なる親世代の違和感ではなく、発達科学と哲学が交差する場所から来ている。乳幼児にとって「遊ぶ」とはどういうことか。画面の中で指が踊る姿は、本当に「遊び」なのか。その問いを正面から受け止めると、知育アプリをめぐる議論の地形が、まるごと変わって見えてくる。
- NO.00027 MINNEW公開 2026.07.17人間関係において、隙を見せる事は必要だろうか?また相手に対しての受け身はどのように取るべきなのだろうか??
隙は、人を招く構えである
カミーノ・デ・サンティアゴの石畳の上で、私は計画を全部失った。地図も、天候も、歩く行程も、どれも予定通りにはならなかった。そのとき口から出たのは「受けたもう〜!」という声だった。語源を調べて出た言葉ではない。身体から溢れた音だった。合氣道の稽古の際、畳の上で投げられ続けてきた身体が、巡礼路の石の上でも同じ動きを選んだ——抵抗でも服従でもなく、来たものと一緒に転がること。あの瞬間、私は「隙」というものが、弱さの証明ではなく、何かを受け取るための構えなのではないかと感じた。この記事はその問いを閉じない。閉じることができないから書いている。
- NO.00017 MINNEW公開 2026.07.16行動の力学における利他と利己について
与えるとき、人は自分を発見する
濱口竜介監督の映画の中に、ユマニチュードという認知症ケアの場面があった。「見る・話す・触れる・立つ」という四つの動作で構成されるそのケアは、フランスで1970年代に生まれた哲学的実践だ。映画を見ながら気づいたのは、「誰かのため」という善意が、ケアする側の疲弊という逆説を静かに生んでいたことだった。一方で、自宅で茶会を開くとき——ゲストの好みを思い浮かべながら茶碗を選ぶ数時間——は、不思議なほど自分が満たされていく。誰かのためにしているはずなのに、満たされているのは自分だ。この非対称な感覚が、利他とは何かという問いを、理論ではなく身体の内側から立ち上げてくる。
RITE EXPLORE/問いの連鎖
読み切ったからこそ生まれた問いに、答えがある。
読み終わった記事の中で、もう少し深く考えたい問いが立ち上がる瞬間があります。RITE EXPLORE は、その問いを書き込むと、ミラツクの知の基盤とともに 600 字の「深掘り記事」を作成する問いの連鎖の仕組みです。書かれた問いと深掘り記事は、他の読者の問いともつながり合い、新しい問いを呼び続けます。
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