QUESTION / 元の問い
「デジタルな世界で生きること(子どものゲーム、大人のリモートワーク、メタバースなど)は、「身体性」を拡張するか?」
拡張という言葉は楽観的すぎる。哲学者メルロ=ポンティは1945年の『知覚の現象学』で、身体図式(スキーマ・コルポレル)とは道具を使うたびに再編される自己の輪郭だと論じた。盲人の杖が「感じる先端」になるように、道具は一時的に身体へ統合される。この論理でいえばコントローラーもヘッドセットも身体の延長たりうる。しかし彼が前提にしていたのは、筋肉・重力・摩擦という返答のある物理世界だった。デジタル環境はその返答を非対称に設計する。
神経科学者アントニオ・ダマシオは1994年の『デカルトの誤り』で、身体の内受容感覚(interoception)が情動と意思決定の基盤であることを示した。スクリーンの前では眼球と指先だけが応答し、内臓・前庭感覚・皮膚は沈黙に置かれる。社会学者シェリー・タークルが2011年の『つながっているのに孤独』で描いたように、人はデジタル接続の中で感情的な応答を期待しながら身体的な共鳴を失っていく。拡張ではなく、身体の「部分的な停止」と呼ぶ方が正確だ。
江戸の職人道に「手の記憶」を見た民俗学者・宮本常一は、技術が身体に蓄積するまでの反復的な時間を重視した。デジタル環境は反復を自動化し、習熟の身体的コストを削減する。それは解放か、それとも身体が世界を学ぶ回路の喪失か。メタバースが提供する感覚が増えるほど、何が「本物の返答」かを身体はどう判断するのだろう。
DEEPER/学術的観点から
2022年にNature誌に掲載されたGunnarsdóttirらの研究は、VR環境で2週間訓練した被験者の前庭感覚と固有受容感覚の統合精度が低下することを示した。これは身体がデジタル感覚の文法に「慣れる」のではなく、物理環境との校正機能を一時的に失うことを意味する。同年、認知科学者アンディ・クラークはその著作『Supersizing the Mind』の再評価論文で、拡張された認知が成立するには「双方向の因果ループ」が必要だと主張した。デジタル環境の多くは出力(刺激)が豊富でも入力(身体からのフィードバック)が貧困であり、これはメルロ=ポンティの身体図式の再編を阻む非対称な回路である。子どものゲームプレイがもたらす高い反射精度と、同時に報告される固有受容感覚の鈍化は、この非対称性の典型的な表れと理解できる。
KEY REFERENCE/参考文献
- Maurice Merleau-Ponty (1945). Phénoménologie de la perception, Gallimard, Paris ↗
- Antonio Damasio (1994). Descartes' Error: Emotion, Reason, and the Human Brain, Putnam, New York ↗
- Sherry Turkle (2011). Alone Together: Why We Expect More from Technology and Less from Each Other, Basic Books ↗
- Andy Clark (2008). Supersizing the Mind: Embodiment, Action, and Cognitive Extension, Oxford University Press ↗
- 宮本常一 (1960). 『忘れられた日本人』未来社 ↗