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NPO 法人ミラツク · RITEVol.001 / 2026.05.30 (Sat) / No.0247
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DEEP DIVE/深掘りの問いと記事

問いは老いるほど深く根を張る

伊藤 憲祐G.U.group
2026.06.05
ORIGIN / 元記事専門職を手放したとき、本当の知恵が始まるby 大井芳美
QUESTION / 元の問い

作者は、人生の二毛作目というところでしょうか。生きる意味について、ひとは何歳から考えると良いと、作者は今は感じているのだろうか?また、このような発見は、長寿社会のあり方を考えることにつながっていくのか?

専門職という鎧を脱いだ後に浮かぶ「これだけでよいのか」という感覚は、実は人生の特定の齢に固有の現象ではない。エリク・エリクソンが1950年の『幼児期と社会』で提示した発達段階論では、晩年の課題を「自我統合対絶望」と名づけた。だが1997年、妻ジョアン・エリクソンとの共著で彼は第九段階を追記し、80代以降に再び問いが深まると述べた。問いを閉じることが「統合」ではなく、問い続ける力こそが統合の本質だという逆転である。

社会学者のピーター・ラスレットは1989年の著書『A Fresh Map of Life』で「第三の人生」という概念を提唱した。定年後の時間を余生とみなさず、個人的充足と社会的貢献が交差する「積極的な問い直しの期間」と位置づけた。これを日本の文脈で補強するのが哲学者の木村敏である。木村は1982年の『時間と自己』で「後期高齢」以前に訪れる「あいだ」の時間——役割から解放されたとき、人は初めて自己との真の対話を始める——と論じた。問いを立てる能力は年齢で開花する閾値があるのではなく、役割の脱落という契機によって触発される。

長寿社会の問いへの接続も、ここから見えてくる。WHOが2015年の報告書『World Report on Ageing and Health』で掲げた「健康な老化」の核心は、機能の維持ではなく「本人にとって重要なことを行い続ける能力」だった。専門職を手放した後に芽吹く問いは、個人の内面事に留まらず、社会が長寿をどう設計するかの問いと同型である。あなたが「これだけでよいのか」と感じた瞬間、社会もまた同じ問いの前に立っているのではないか。

DEEPER/学術的観点から

エリクソンの第九段階への追記は、1994年に97歳で逝去する直前の洞察として記録されており、遺著『The Longest Life』(2013年、ジョアン・エリクソン名義で刊行)に詳述される。注目すべきは、彼が晩年に「希望」を最初の徳目として再定義し直した点である。乳児期に根づく希望が、老年期に「問い続ける意志」として環状に回帰するという構造は、問いの起点に年齢の上限も下限も存在しないことを示す。木村敏の「あいだ」概念と重ねれば、専門職という社会的役割が人と問いとのあいだに張っていた膜が剥がれたとき、問いはより直接的に人に触れるのだと言える。長寿社会の設計においても、この「問いに触れる契機」を制度がいかに保証するかが課題として浮上する。

KEY REFERENCE/参考文献
  • Erik H. Erikson & Joan M. Erikson (1997). The Life Cycle Completed (Extended Version). W. W. Norton & Company.
  • Peter Laslett (1989). A Fresh Map of Life: The Emergence of the Third Age. Weidenfeld & Nicolson.
  • 木村敏 (1982). 『時間と自己』中公新書.
  • World Health Organization (2015). World Report on Ageing and Health. WHO Press.
ORIGIN / 元の記事
専門職を手放したとき、本当の知恵が始まる
著者: 大井芳美
伊藤 憲祐
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