QUESTION / 元の問い
「拝読させてもらって思い浮かべたのは「ダンバー数」。イギリスの進化心理学者ロビン・ダンバーが提唱した「人が安定した社会関係を維持できる認知的上限は約150人である」という理論です。給与は自己申告で肩書きなし。そういった組織のマネジメントは、実はマネジメントというより、人間本来の安定的な認知への回帰と捉えられるのではないか。 もしそうであるなら、まさに縄文的。しかしそれは同時に、ダンバー数を超えた大規模な秩序には適用できないということになるのではないか?」
顔を知る者だけが統治できる、という命題は生物学的根拠を持つ。ロビン・ダンバーは1992年に霊長類の新皮質比と集団規模の相関を分析し、ホモ・サピエンスの認知的上限が約150名であると導いた。この数字は、縄文集落の推定規模、ローマ軍の百人隊の編成、ゴア・テックスのファクトリー定員にまで繰り返し出現する。ダンバーが見たのは「適切な組織規模」という設計論ではなく、脳の神経構造が刻んだ制約だ。ダイヤモンドメディア型の自律組織が機能するのは、実はこの制約の内側に自らを置いているからかもしれない。
しかし問題は、近代が構築した秩序のほとんどがダンバー数を超えた規模を前提とする点だ。社会学者エミール・デュルケームは1893年に『社会分業論』で、大規模社会を束ねるのは「有機的連帯」——役割分化と相互依存——だと論じた。つまり近代が発明したのは、顔の見えない他者との信頼を制度・契約・貨幣で代替するシステムだ。近代というOSは、ダンバー数の壁を「技術的に迂回する」ために書かれた、とも読み直せる。
問うべきは、その迂回路が「代替」なのか「喪失」なのかだ。神経科学者アントニオ・ダマシオは1994年の『デカルトの誤り』で、情動なき合理性は判断を劣化させると示した。制度で代替された信頼が情動的基盤を欠くとき、意思決定はどこで歪むのか。150人の壁の内側に戻ることが「回帰」であるなら、壁の外側で失われているものの名前は、まだ誰も正確に言い当てていない。
DEEPER/学術的観点から
ダンバー数の「150」は単一の閾値ではなく、社会的層位の一段に過ぎない。ダンバーは2010年の著書『友達の数は何人?』でスケール系列を精緻化し、5・15・50・150・500・1500という同心円的な層を提示した。各層は接触頻度と情動的親密度によって弁別され、150は「名前と顔に加えて人間関係の文脈を保持できる」限界点を指す。人類学者のマーシャル・サーリンズは採集狩猟社会の経済を「原初の豊かな社会」と1972年に記述し、その社会的単位がほぼ150以下に収まることを傍証した。制度を持たず顔だけで紐帯を維持できる規模——縄文集落の想定値30〜100人はその内側に位置する。逆に言えば、国家・企業・宗教組織はすべてこの閾値を突破するために「神話・貨幣・法」という認知拡張ツールを発明した存在だ。歴史家ユヴァル・ノア・ハラリが2011年の『サピエンス全史』で示したこの論点は、ダンバー数を生物学的制約から文明論的問いへと接続する。
KEY REFERENCE/参考文献
- Robin Dunbar (1992). Journal of Human Evolution 22(6): 469-493 ↗
- Robin Dunbar (2010). How Many Friends Does One Person Need? Faber & Faber, London
- Émile Durkheim (1893). De la division du travail social. Alcan, Paris (邦訳: 井伊玄太郎訳『社会分業論』講談社学術文庫, 1989)
- Antonio Damasio (1994). Descartes' Error: Emotion, Reason, and the Human Brain. Putnam, New York
- Yuval Noah Harari (2011). Sapiens: A Brief History of Humankind. Dvir Publishing, Tel Aviv