QUESTION / 元の問い
「「いのち」の概念は時代や文化でいかに変化してきたのか?そしてこれからどこに向かうのか?」
言語が「いのち」を名詞として固定した瞬間、そのいのちは既に半分だけ死んでいる。国文学者西郷信綱が1975年の『古代人と死』で示したように、記紀(712年・720年)の「いのち」は「生(い)く」という動詞と分かちがたく結びつき、神・共同体・自然との応答のなかで絶えず更新されるプロセスだった。固定された実体ではなく、呼びかけと応答の間で発生しつづける出来事——これが「いのち」の最古の語感である。近代的な個体観が「いのち」を皮膚の内側に閉じ込めたとき、その動詞性は削ぎ落とされた。
同じ脱実体化の論理は異文化でも検証される。哲学者アン・ウィルソン・シェフの1987年の議論を引き継ぐ形で、人類学者ティム・インゴルドは2011年の『ラインズ』において、生命を「存在の様態(mode of being)」ではなく「動きながら張られる線(thread)」として再定義した。さらに植物生物学者ステファノ・マンクーゾは2017年の研究で、植物に中枢なき分散的感受性を確認し、「いのち」が単一の主体を必要としないことを実証した。名詞としての生命理解が近代西洋に固有の地域的構築物であることが、異分野から収斂して浮かびあがる。
「これからどこへ向かうか」という問いに、この観点は一つの方角を示す。気候変動・AI・パンデミックという連続的な閾値(しきいち)越えのなかで、哲学者ドナ・ハラウェイは2016年の『Staying with the Trouble』でマルチスピーシーズ(多種間)の応答関係こそが「いのち」の再定義の場となると論じた。「いのち」は再び動詞へと帰還しつつある——では、あなたは今この瞬間、何に応答することで自分のいのちを動詞にしているか。
DEEPER/学術的観点から
ティム・インゴルドが2011年の『ラインズ』で展開した「生成の線(line of becoming)」論は、本文の観点に決定的な補強を与える。インゴルドはレヴィ=ストロース的な構造主義とも現象学的個体主義とも距離を取り、生命を「点から点へ移動する軌跡」ではなく「動きそのものが意味を張りながら描く線」として記述した。これはホワイトヘッドの過程哲学(1929年『過程と実在』)における「現実的契機(actual occasion)」概念とも共鳴し、存在とは関係の結節として瞬間ごとに生起するという立場を支持する。さらに福岡伸一が2007年の『生物と無生物のあいだ』で提示した「動的平衡(どうてきへいこう)」——細胞が絶えず分解と合成を繰り返しながら形を保つプロセス——は、日本語の科学的文脈から同じ動詞的生命観を裏付ける。三者を束ねると、「いのちとは持続する構造ではなく、更新し続ける動詞である」という命題は単なる詩的比喩を超え、人類学・形而上学・分子生物学が重なり合う場所に立つ。
KEY REFERENCE/参考文献
- 西郷信綱 (1975). 『古代人と死』(中央公論社)
- Tim Ingold (2011). Lines: A Brief History. Routledge, London. ↗
- Donna Haraway (2016). Staying with the Trouble: Making Kin in the Chthulucene. Duke University Press. ↗
- Stefano Mancuso & Alessandra Viola (2017). Brilliant Green: The Surprising History and Science of Plant Intelligence. Island Press.
- 福岡伸一 (2007). 『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)