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NPO 法人ミラツク · RITEVol.001 / 2026.05.30 (Sat) / No.0247
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RITE ESSAY/メンバーの記事

人間は、効率の外側でしか目的を持てない——「役に立つ」をやめたとき取り戻せるもの

スマートフォンのスクリーンタイム通知が届くたびに、奇妙な感覚を覚えます。一日の行動が数値に変換され、アプリ別の使用時間が棒グラフで並ぶ。その瞬間、自分が何かのシステムにとって「測定可能な単位」として存在していることを、身体が先に知ります。 何時間働いたか。何件返信したか。何歩歩いたか。数えられることで、初めて価値を持つような感覚です。 これは単なるデジタル依存の問題ではありません。もっと根深い、人間の存在そのものをめぐる問題です。

八木橋パチ日本アイ・ビー・エム株式会社
2026.09.23READ 7 MIN

スマートフォンのスクリーンタイム通知が届くたびに、奇妙な感覚を覚えます。一日の行動が数値に変換され、アプリ別の使用時間が棒グラフで並ぶ。その瞬間、自分が何かのシステムにとって「測定可能な単位」として存在していることを、身体が先に知ります。 何時間働いたか。何件返信したか。何歩歩いたか。数えられることで、初めて価値を持つような感覚です。 これは単なるデジタル依存の問題ではありません。もっと根深い、人間の存在そのものをめぐる問題です。

マルティン・ハイデガーは、1954年の「技術への問い」で、近代技術の本質を「集立(Gestell)」という言葉で捉えました。そこでは、存在するものが「用立て可能な資源(Bestand)」として開示されます。 川は水力発電の資源になり、森は木材の資源になる。そして、人間もまた労働力や注意、データとして扱われる。 スマートフォンは、その構造を日常の隅々にまで持ち込んだ道具なのかもしれません。

スマートフォンを置いた瞬間、自分が何をしたいのかわからなくなる。何もしていない時間に、どこか落ち着かない。通知がなければ、自分の存在まで薄くなったように感じる。 そこでは、技術が単に「便利な道具」として存在しているのではありません。いつの間にか私たち自身が、技術によって測定され、評価され、最適化される側に回っています。 AIは、この傾向をさらに加速させます。

何が効率的か。誰が生産的か。どの行動が望ましいか。何をすれば成果が上がるか。大量のデータをもとに、人間の行動を予測し、比較し、最適化することが可能になる。 けれども、そこで問われているのは「技術をどう使うか」だけではありません。 私たちは、自分自身を何として生きるのか。

人間を、測定できる能力や成果の集合として見るのか。それとも、測定できないものを含んだ存在として見るのか。 ここで、ハイデガーとは別の方向から重要な問いを投げかけたのが、イヴァン・イリイチです。 イリイチは、道具や制度が人間の生活を支えるはずなのに、ある地点を超えると、逆に人間の行為を支配するようになることを繰り返し論じました。

学校は学ぶための制度であるはずなのに、学ぶことよりも「学校に通ったこと」が価値を持つようになる。医療は健康を支えるはずなのに、健康を専門家や制度に委ねることで、人間自身が自分の身体や生活から切り離されていく。 道具は、人間のためにある。 しかし、道具が大きくなりすぎると、人間のほうが道具に合わせるようになる。 この逆転を、イリイチは「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」という言葉で問い直しました。人間が道具を主体的に使いこなし、道具によって人間の自律的な営みが豊かになる状態です。 ハイデガーが、私たちが置かれている「技術の存在論的な構造」を問い、イリイチが、その構造のなかで「人間と道具の関係をどう取り戻すか」を問い直した。 二人の議論は、AI時代の私たちにもつながっています。

AIに何をさせられるか。何を効率化できるか。どれだけ多くの仕事を短時間で処理できるか。 もちろん、それらは重要です。けれども、その先に「それは何のためなのか」という問いは残ります。 一日のうちに、目的なく始まり、目的なく終わる時間をつくる。何の成果にもならず、記録も評価もされないことをする。一見すると非効率ですが、イリイチのいうコンヴィヴィアリティを、日常の小さなところから取り戻す実践ともいえます。 ハイデガーが「集立」によって人間まで資源化される構造を問い、イリイチが人間の手に道具を取り戻そうとしたように、必要なのは技術を捨てることではありません。 技術に、人間の生き方そのものを決めさせないこと。 何時間働いたか、何件返信したか、何歩歩いたか。そんな数字に換算できない時間も、人間にはある。 最適化されたシステムのなかで、人間が目的を持てるとしたら、その目的はシステムが与えるものではなく、ときどき自分で取り戻すものなのかもしれません。

DEEPER 学術的な観点で深めると

2019年、情報哲学者ルチアーノ・フロリディはPhilosophy & Technology誌に「AI倫理の論理」を発表し、AIシステムが人間の「情報的自己(informational self)」を再定義する構造を分析しました。フロリディが示したのは、工学的な設計選択——何を最適化するか、何をデータとして収集するか——が、「人間の定義」そのものを書き換えるという命題です。測定されない属性は、システムにとって存在しないも同然になる。ローザの「共鳴」やヌスバウムの「非計量的価値」が失われるのは、道徳的退行ではなく、設計上の必然です。この知見は今も、AIシステムの目的関数に何を含めるかを、工学的問題であると同時に政治的・哲学的決定として問い続けています。

SIGNAL 01

OECDの2023年ウェルビーイング報告によると、加盟国38か国中、「仕事の意味」を重要な生活満足要因と評価する割合はGDPとほぼ無相関(r=0.09)であり、経済的効率化と主観的目的感の乖離が統計的に確認されています。(OECD, 2023, How's Life? Measuring Well-being)

SIGNAL 02

Rosa, H.(2013)の実証調査では、社会的加速の高い環境に置かれた被験者は「共鳴経験」の頻度が週平均2.3回から0.8回へ減少し、自律的熟慮時間が37%短縮されたことが示されています。(Rosa, H., 2013, Social Acceleration, Columbia University Press)

SIGNAL 03

Floridi, L. et al.(2018)は、AI倫理原則を採用した企業87社のうち「人間の監督可能性」を設計仕様に明記していたのは12%にとどまることを報告しており、工学的介入点が制度的に未整備であることを示します。(Floridi, L. et al., 2018, "An Ethical Framework for a Good AI Society," Minds and Machines, 28(4): 689707

SIGNAL 04

Raworth, K.(2017)のドーナツ経済モデルを採用したアムステルダム市の2020年政策評価では、GDP成長を目標から外した設計指標への移行後、市民の「生活の目的感」スコアが18か月で11ポイント上昇しました。(Raworth, K., 2017, Doughnut Economics, Chelsea Green Publishing)

KEY REFERENCE この回の典拠
  • Heidegger, M. (1954). "Die Frage nach der Technik." In Vorträge und Aufsätze. Neske. 「集立(Gestell)」概念の原典。存在するものすべてを用立て可能な資源として開示する技術の本質を論じ、人間の資源化を哲学的に定式化した。
  • Floridi, L. (2019). "The Logic of Information: A Theory of Philosophy as Conceptual Design." Oxford University Press. 情報哲学の立場からAIが人間の「情報的自己」を再定義する構造を分析し、設計選択が存在論的帰結を持つことを示す。
  • Floridi, L., Cowls, J., Beltrametti, M., et al. (2018). "An Ethical Framework for a Good AI Society: Opportunities, Risks, Principles, and Recommendations." Minds and Machines, 28(4): 689–707. DOI: 10.1007/s11023-018-9482-5 / AI倫理原則の制度的実装状況を実証的に分析し、人間の監督可能性が工学仕様として未整備であることを示す主要実証論文。
  • Rosa, H. (2013). Social Acceleration: A New Theory of Modernity. Columbia University Press. 社会的加速が自律的熟慮を構造的に奪うメカニズムを社会学的に定式化し、「共鳴」概念を政治的課題として位置づける統合理論書。
  • Nussbaum, M. C. (2001). Upheavals of Thought: The Intelligence of Emotions. Cambridge University Press. DOI: 10.1017/CBO9780511840715 / 感情の認知的機能を哲学的に論じ、数値化できない非計量的価値が人間の繁栄にとって不可欠であることを示す。
  • Irwin, T. (2015). "Transition Design: A Proposal for a New Area of Design Practice, Study, and Research." Design and Culture, 7(2): 229–246. DOI: 10.1080/17547075.2015.1051829 / 効率を従属変数に、人間の繁栄を目的変数に置き直すトランジションデザインの設計思想を提示した原著論文。
  • Adorno, T. W. & Horkheimer, M. (1944/1947). Dialektik der Aufklärung. Social Studies Association. (邦訳: 徳永恂訳『啓蒙の弁証法』岩波書店, 2007年) 道具的理性批判の原典。理性が手段の効率化のみを追求する様式へと変質する歴史的プロセスを定式化した批判理論の古典。
NEXT — 次の記事への示唆

「共鳴(Resonanz)」を個人の実践ではなく制度設計の原理として扱う試みは、具体的にどの都市・組織で始まっているのか。アムステルダムやデンマークの政策事例を軸に、「目的変数の転換」が制度として定着する条件を次回深めます。

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