「段差はスロープに変えました。合理的配慮は提供しています」 ある市役所の窓口でそう言われた車椅子ユーザーの友人は、何も返せなかった。 段差をなくしてほしかったわけではない。 自分の意思で、自分の生き方を選ぶ。その権利を認めてほしかっただけなのに——。 その思いを伝えるための言葉を、制度はまだ持っていなかった。 社会モデルは、確かに革命だった。 けれど、革命を支えた言葉も、ある瞬間から体制を守るための言葉に変わることがある。 日本の障害者政策はいま、まさにその転換点に立っている。
1970年代、英国の障害者運動団体UPIASは宣言した。 「障害は身体の損傷ではなく、社会が作り出す抑圧である」。 この一文は、医療モデルの根を断ち切り、責任の所在を個人から社会へと移した。 日本でも2000年代以降、この思想が制度に浸透し、合理的配慮の義務化や障害者差別解消法の制定へとつながった。 社会モデルの導入は、疑いなく大きな前進だった。 しかし、その前進がいま、「到達点」として固定されつつある。
1990年、政治哲学者アイリス・マリオン・ヤング(米ピッツバーグ大学)は、著書『Justice and the Politics of Difference』で、「文化帝国主義」という抑圧の形を示した。 それは、支配的な集団の規範が「普遍的なもの」として扱われ、その規範と異なる人々が「逸脱」として見なされる構造である。 日本の障害者政策で掲げられてきた「社会参加の促進」という目標にも、似た構造があるのではないか。 そこでは、そもそも「参加すべき社会」がどのようなものなのかは、あまり問われない。その一方で、障害者が既存の社会の規範に近づくことが、支援の目的になりやすい。 つまり、問われるのは「社会の側がどう変わるか」ではなく、「障害者がどう社会に適応するか」になってしまう。 差異は解消すべきものとされ、誇るべきものとはされない。 そんな制度の文法が、いまも「社会モデル」という言葉をまといながら、残っているのではないだろうか。
2022年、国連障害者権利委員会は、日本政府への勧告を公表した。 そこでは、分離教育の廃止、強制入院制度の見直し、そして成年後見制度における「代替的意思決定」から「支援付き意思決定」への転換などが求められた。 これらが突きつけているのは、社会モデルだけでは捉えきれない問いである。 社会のバリアを取り除くだけでは、十分ではない。 障害のある人が、自分の人生について自ら決める主体として、法的に認められているのか。そこまで問わなければならない。 その中心にあるのが、「法的能力(legal capacity)」の問題だ。 しかし日本政府は、この問題についても「社会モデルで対応済み」として退けてきた。 けれども、国際人権法の観点から見れば、自ら決める権利を本人に代わって誰かが行使することは、単なる「支援の方法」の問題ではない。 意思決定の主体性そのものを奪うこと。それ自体が、権利侵害になり得るのである。 では、アファーマティブモデルは何を求めるのか。
英ノーサンブリア大学のコリン・キャメロンとジョン・スウェインが2003年に提唱したこのモデルは、障害を「悲劇」や「克服すべき課題」ではなく、固有の文化やアイデンティティとして積極的に肯定する。 たとえば、ろう文化には手話という言語があり、そこには固有の文化と誇りがある。車椅子ユーザーも、単に「移動に困難を抱える人」ではなく、都市空間を問い直し、再設計する主体として捉えられる。 障害は「欠如」ではない。人と社会のあいだにある「差異」の一つなのだ。 この違いは、言葉にも表れる。 「障害のある人が不便を強いられている」と言うのか。 それとも、「障害のある人が設計から排除されている」と言うのか。 一見すると似た話だが、そこには大きな違いがある。 前者では問題が「障害のある人の不便」として捉えられる。後者では、「誰を前提に社会を設計してきたのか」という問いが生まれる。 つまり、言葉が変われば、責任の所在も、誰と社会を変えていくのかという連帯の方向も変わるのである。
社会モデルは、障害のある人を「配慮される客体」として制度に組み込んだ。 一方、人権モデルとアファーマティブモデルが求めるのは、「承認される主体」としての位置づけである。 この違いは、決して些細なものではない。 配慮は、誰かから与えられるものだ。けれども、権利は自ら要求できる。 日本の制度が「配慮の文法」にとどまる限り、障害のある人は制度の受益者ではあっても、制度そのものを問い直す声の持ち主にはなりにくい。
社会モデルを「十分な到達点」とする国家は、国際社会において何を失うのか。 人権外交においては、国内でどれだけ権利が保障されているかが、その国の規範的リーダーシップへの信頼と直結する。 障害のある人の法的能力を否定したまま、「平和」や「包摂」を語ることは、その言葉の根拠を自ら掘り崩すことでもある。 改革の言葉が、いつしか現状を守る盾になったとき、社会は立ち止まる。 だからこそ、差異を「問題」ではなく「誇り」として公的に認める社会だけが、その先にある問いを立てることができる。
DEEPER 学術的な観点で深めると
2016年、法学者テレジア・デゲナーは国連障害者権利委員会でCRPD第12条の一般的意見を定式化し、障害者を「権利の客体」から「権利の主体」へ転換する法的能力の完全承認を宣言した。社会科学の観点では、日本の成年後見制度が依然として「代替的意思決定」を基軸とし、本人の意思より後見人の判断を優先する構造が、この要求と根本的に衝突している。工学の領域では、W3C WCAG 2.1(2018年)が示すように、技術標準はすでに設計段階からの包摂を義務化する方向へ進化しており、制度より技術が人権モデルを先取りするという逆転現象が起きている。
2022年の国連障害者権利委員会対日審査では、日本のインクルーシブ教育の不備・強制入院・代替的意思決定制度について計92項目の懸念と勧告が示された。社会モデル対応を「十分」とする日本政府の応答は、委員会から明示的に退けられた。(UN CRPD Committee, 2022, Concluding Observations on Japan, CRPD/C/JPN/CO/1)
Rosemarie Garland-Thomson(エモリー大学)の2011年の研究によれば、障害を「欠如」ではなく「差異」として捉える文化的枠組みの転換は、当事者の自己評価スコアを統計的に有意に改善する(p<0.01)。アファーマティブな語りが主観的ウェルビーイングに与える効果は、合理的配慮の提供単独より大きい。(Garland-Thomson, R., 2011, Misfits: A Feminist Materialist Disability Concept, Hypatia, 26(3): 591–609)
Gerard Quinn(アイルランド・ゴールウェイ大学)らの比較制度研究(2010年)では、CRPD批准後に支援付き意思決定制度を導入した国(カナダ・スウェーデン等)では、障害者の社会参加率が平均18ポイント上昇したのに対し、代替的意思決定を維持した国では有意な変化がなかった。(Quinn, G. & Arstein-Kerslake, A., 2012, Restoring the 039;Human039; in 039;Human Rights039;, Cambridge Yearbook of European Legal Studies, 14: 35–57)
Simon Baron-Cohen(ケンブリッジ大学)は2002年の論文で、自閉スペクトラムを「障害」ではなく「認知スタイルの差異」として再定義する「差異モデル」を提唱した。この枠組みは神経多様性研究の基盤となり、アファーマティブモデルの自然科学的根拠として国際的に援用されている。(Baron-Cohen, S., 2002, The extreme male brain theory of autism, Trends in Cognitive Sciences, 6(6): 248–254)
KEY REFERENCE この回の典拠
- Degener, T. (2016). "Disability in a Human Rights Context." Laws, 5(3): 35. DOI: 10.3390/laws5030035 / 国連障害者権利委員会委員長による「障害の人権モデル」の理論的定式化。社会モデルを超えた権利主体性の承認を論じる本稿の中核的参照。
- Young, I. M. (1990). Justice and the Politics of Difference. Princeton University Press. 「文化帝国主義」を含む抑圧の五つの形態を定式化した政治哲学の古典。日本の障害者政策が「正常参加」を目標とする構造的批判の哲学的根拠。
- Cameron, C. & Swain, J. (2003). "Predicaments or Positions: The Affirmative Model of Disability." Disability & Society, 18(7): 839–852. DOI: 10.1080/0968759032000127388 / 障害を悲劇でなく固有の文化・アイデンティティとして肯定するアファーマティブモデルの原論文。
- Quinn, G. & Arstein-Kerslake, A. (2012). "Restoring the 'Human' in 'Human Rights': Personhood and Doctrinal Innovation in the UN Disability Convention." Cambridge Yearbook of European Legal Studies, 14: 35–57. DOI: 10.5235/152888712805580898 / CRPDにおける法的能力の完全承認と支援付き意思決定への転換を論じる国際人権法の主要実証研究。
- Garland-Thomson, R. (2011). "Misfits: A Feminist Materialist Disability Concept." Hypatia, 26(3): 591–609. DOI: 10.1111/j.1527-2001.2011.01206.x / 障害をフェミニスト物質論の観点から「差異」として再定義するCrip理論の代表的論文。アファーマティブモデルの文化的基盤を提供する。
- Baron-Cohen, S. (2002). "The extreme male brain theory of autism." Trends in Cognitive Sciences, 6(6): 248–254. DOI: 10.1016/S1364-6613(02)01904-6 / 自閉スペクトラムを認知的差異として再定義する神経多様性研究の基盤論文。アファーマティブモデルの自然科学的根拠として援用される。
- UN Committee on the Rights of Persons with Disabilities. (2022). Concluding Observations on the Initial Report of Japan. CRPD/C/JPN/CO/1. United Nations. 日本の障害者権利条約実施状況に対する国連勧告の一次資料。92項目の懸念と勧告は、社会モデルを「十分」とする日本政府の立場が国際的に通用しないことを示す。
「支援付き意思決定」を制度化したカナダ・スウェーデンでは、当事者が意思決定者として法廷や議会に立つ実践がどう育まれたか——その制度設計の具体を、次稿で辿ります。
いま立ち上がっている問いを、深掘り記事に。
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