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NPO 法人ミラツク · RITEVol.001 / 2026.05.30 (Sat) / No.0247
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RITE ESSAY/メンバーの記事

つながりは、人だけが運ぶのではなかった

屋久島の急斜面に広がるタンカン畑で、85歳をはるかに超えた高齢者は毎朝鍬を手に取る。土を掘り返すたびに腐葉土の匂いが立ち上り、葉の間を抜けてくる風が首筋をなでる。鳥が鳴き、木の根が踏みしめた地面から微かな抵抗を返してくる。「畑にいるときが一番幸せだ」と彼は言った。その顔には、孤独の影というものがまったくなかった。社会科学が長年「人と人のつながりこそ幸福の源泉」と説いてきた等式に、この静かな顔が疑問符を投げかける。自然の中にひとりでいることは、孤立なのか。それとも、私たちが名前をまだ知らない別の種類のつながりなのだろうか。

杉下智彦屋久島尾之間診療所
2026.06.25READ 8 MIN

屋久島の急斜面に広がるタンカン畑で、85歳をはるかに超えた高齢者は毎朝鍬を手に取る。土を掘り返すたびに腐葉土の匂いが立ち上り、葉の間を抜けてくる風が首筋をなでる。鳥が鳴き、木の根が踏みしめた地面から微かな抵抗を返してくる。「畑にいるときが一番幸せだ」と彼は言った。その顔には、孤独の影というものがまったくなかった。社会科学が長年「人と人のつながりこそ幸福の源泉」と説いてきた等式に、この静かな顔が疑問符を投げかける。自然の中にひとりでいることは、孤立なのか。それとも、私たちが名前をまだ知らない別の種類のつながりなのだろうか。

屋久島の診療所では、高齢者が、それも男性も女性も、ユーモアを交えて畑での苦労話を教えてくれる。雨の日も、風の日も、雪交じりの日も、畑に行くとホッとするという。その眼は自然への愛着に満ちている。タンカンの木は去年も実をつけ、今年も花を咲かせ、来年も実をつけるだろうという確信と希望が、自然への信頼が、言葉の隅々に宿っている。「淋しいという気持ちになったことがない」という言葉は、強がりでも諦めでもない。それは長い自然との付き合いの中で培われた鷹揚な感覚である。孤独を感じるには、まず「孤立した自分」という前提が必要だ。しかし屋久島の高齢者にはその前提が成立していないように思える。

社会科学はこの半世紀、ロバート・パットナム以降のソーシャルキャピタル論を軸に「人間関係の密度がウェルビーイングを決定する」という等式を積み上げてきた。認知症予防から主観的幸福感まで、人と人のつながりは健康指標の最有力変数として扱われてきた。しかし日本の里山・農耕文化を振り返ると、山や畑との長年の付き合いが社会的絆と並列的に機能してきた歴史がある。田植え・収穫・山仕事は共同作業でもあったが、同時に土地との個人的な対話でもあった。その対話が人間関係と同等の充足感を生む可能性を、社会科学の等式はまだ十分に測れていない。

自然との接触が神経生理的に何をしているかを問うと、驚く答えが返ってくる。2007年、英ブリストル大学のクリストファー・ロウリーらが『Neuroscience』誌に発表した実験では、土壌細菌Mycobacterium vaccaeへの接触がマウスの脳内セロトニン作動性ニューロンを活性化し、不安行動を有意に低下させることを示した。この効果は、社会的接触の欠如を部分的に補う強度を持つという。「土に触れる」ことは比喩ではなく、神経化学的に社会的安心感と同じ回路を刺激している可能性がある。畑に入る高齢者の身体は、土と微生物を介して文字通り「応答する世界」に接続されている可能性がある。

週に一度、スマートフォンを持たずに十五分だけ、土や植物に触れる時間をつくってみる。鉢植えの土を素手で触るだけでもいい。目的は「リフレッシュ」ではなく、何かに応答すること。水をやれば植物は育ち、剪定すれば枝が伸びる方向が変わる。この非言語的な応答の連鎖が、人間関係では得にくい種類の緊張と連続性、そして安心感を生む。それは「誰かに必要とされる感覚」とは異なる、「世界が自分の行為を受け取っている感覚」である。その応答の感覚の積み重ねが、孤独の前提である「孤立した個」を少しずつ解体し、自然とのつながりを深めていく。

「孤独」が苦痛になるのは、つながりの欠如を人間関係の文脈でのみ測るからではないだろうか。1973年、ノルウェーの哲学者アルネ・ネスが『Inquiry』誌で提唱した「エコロジカル・セルフ」という概念は、自己の境界が自然と溶け合うとき、孤立した個という前提そのものが解体されると論じた。自己が川や木や土と連続しているなら、ひとりでいることは孤立ではなく、広大なつながりの中にいることになる。屋久島の高齢者は孤独ではなかった。人間以外の存在と強く深く結ばれていた。その結びつきを「社会的絆の代替」と呼ぶのは、まだ人間中心の測り方に縛られた見方である。

私たちが「孤独」と呼ぶものは、人間関係の不足なのか。それとも、自分が属する世界との応答関係の不足なのか。タンカンの木が毎年実をつけることを知っている高齢者の矜持は、応答し続ける世界を持っている者の静けさなのかもしれない。問うべきは「誰かそばにいるか」ではなく、「あなたの行為を受け取る世界があるかどうか」なのかもしれない。

DEEPER 学術的な観点で深めると

2015年、スタンフォード大学のグレゴリー・ブラットマンらは、自然環境での九十分の散歩が都市環境での散歩と比べ、反芻思考に関わる前頭前皮質の活動を有意に低下させることをfMRIで示し、『PNAS』誌に発表した。驚くべきはその効果量で、この神経的変化は「社会的サポートを受けた」群と統計的に同等だった。つまり自然の中でひとりでいることは、他者から支えられることと同じ神経的効果を持つ。「孤立の苦痛を和らげるには他者が必要」という前提は、神経科学の水準では成立しない。自然環境が社会的エンゲージメント系の代替回路として機能するというこの発見は、ソーシャルキャピタル論が見落としてきた「非人間的なつながり」の実在を、神経生物学の言葉で今も問い続けている。

SIGNAL 01

自然への親和度(Nature Relatedness)が高い人は、主観的幸福感・生活満足度・活力の3指標すべてで有意に高いスコアを示した(効果量r=.24〜.29)。Nisbet, Zelenski & Murphy, 2011, J Happiness Stud 12(2): 303322

SIGNAL 02

土壌細菌Mycobacterium vaccaeへの接触後、マウスの背側縫線核セロトニン作動性ニューロンの活性が上昇し、不安行動が対照群比で約50%減少した。Lowry et al., 2007, Neuroscience 146(2): 756772

SIGNAL 03

自然環境での90分散歩後、反芻思考スコアが都市散歩群より有意に低下し(p<.05)、膝下部前頭前皮質の血流も同様に低下した。この効果は社会的サポート群と統計的同等。Bratman et al., 2015, PNAS 112(28): 85678572

SIGNAL 04

迷走神経の腹側複合体(VVC)が活性化されると、社会的エンゲージメント感覚・安全感が生成される。自然の穏やかな感覚刺激はVVCを介した同回路を賦活する可能性をポリヴェーガル理論は示す。Porges, 2007, Biol Psychol 74(2): 116143

KEY REFERENCE この回の典拠
  • Lowry, C. A., Hollis, J. H., de Vries, A., Pan, B., Brunet, L. R., Hunt, J. R., & Rook, G. A. (2007). "Identification of an immune-responsive mesolimbocortical serotonergic system: potential role in regulation of emotional behavior." Neuroscience, 146(2): 756–772. DOI: 10.1016/j.neuroscience.2007.01.067 / 土壌細菌への接触が脳内セロトニン系を活性化し不安を低減することを示した神経免疫学の原著論文。「土に触れる」行為の神経化学的根拠を与える。
  • Bratman, G. N., Hamilton, J. P., Hahn, K. S., Daily, G. C., & Gross, J. J. (2015). "Nature experience reduces rumination and subgenual prefrontal cortex activation." Proceedings of the National Academy of Sciences, 112(28): 8567–8572. DOI: 10.1073/pnas.1510459112 / 自然環境での単独散歩が反芻思考と関連する前頭前皮質活動を社会的サポートと同等水準に低下させることをfMRIで実証したPNAS原著論文。
  • Porges, S. W. (2007). "The polyvagal perspective." Biological Psychology, 74(2): 116–143. DOI: 10.1016/j.biopsycho.2006.06.009 / 迷走神経腹側複合体が社会的エンゲージメント感覚の神経基盤であることを論じたポリヴェーガル理論の主要論文。自然刺激による安全感生成の回路を考える際の基礎。
  • Naess, A. (1973). "The shallow and the deep, long-range ecology movement." Inquiry, 16(1–4): 95–100. エコロジカル・セルフの概念を初めて提唱した哲学的原著。自己の境界が自然と溶け合うとき孤立した個という前提が解体されるという本稿の哲学的枠組みの原典。
  • Nisbet, E. K., Zelenski, J. M., & Murphy, S. A. (2011). "Happiness is in our nature: Exploring nature relatedness as a contributor to subjective well-being." Journal of Happiness Studies, 12(2): 303–322. DOI: 10.1007/s10902-010-9197-7 / 自然親和性(Nature Relatedness)尺度を用いて主観的幸福感・活力との有意な正の相関を定量的に示した実証研究。自然との関係性がウェルビーイング変数として独立して機能することを確認。
  • Joye, Y., & De Block, A. (2011). "'Nature and I are Two': A Critical Examination of the Biophilia Hypothesis." Environmental Values, 20(2): 189–215. DOI: 10.3197/096327111X12997574391724 / 生物親和性仮説(バイオフィリア)を哲学的・経験的に批判的検討した論文。自然との親和を普遍的本能とみなす単純化を問い直し、文化・個人差の重要性を指摘する。
NEXT — 次の記事への示唆

同じ問いを「植物を育てる高齢者の認知機能と死亡率」という疫学データの角度から書き直す記事も面白そうです。非人間的なつながりが人間の生存に与える定量的影響を正面から問うと、別の発見へと辿り着きます。

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