深夜二時に友人と交わした議論の内容は、もう思い出せない。それでも、あの夜に何かが変わったという感触だけは、身体のどこかに残っている。目的もなく乗り込んだ鈍行列車、失敗に終わったサークルの企画、教員に突っかかって恥をかいた授業後の廊下——それらを「無駄だった」と片付けることは簡単だ。しかし後になって気づく。あの時間こそが、世界の見え方を変えた出来事だったと。何かを「学んだ」という感覚より、自分という輪郭が書き直されたという感覚の方がずっと強く残っている。大学での学びとは何だったのか。その問いは、卒業後にこそ鮮明になる。
大学時代に「無駄」と感じていた時間が、後になって思考の骨格になっていたという経験は、決して個人的な錯覚ではない。深夜の議論、目的のない旅、うまくいかなかった企画——そこで身体が受け取ったものは、授業のノートには書かれていない。「何かを知った」という感覚よりも、「世界の見え方が変わった」という感覚の方が深く残る。この非対称性こそが、大学という場の本質を指し示している。学びとは知識の受け取りではなく、認識の枠組みそのものが更新される経験なのだ、という問いがここから始まる。
大学という制度が「知の共同体」として成立した歴史的文脈を辿ると、その原型は驚くほど現代の理想に近い。中世ヨーロッパのウニヴェルシタス(Universitas)は、職業訓練機関でも国家の教育装置でもなく、問いを共有する者たちの自治的結社として生まれた。19世紀にヴィルヘルム・フォン・フンボルトが設計したベルリン大学の理念は、研究と教育の統合——つまり答えを教えるのではなく、問いを共に探究するという原則を近代大学の核に据えた。その理念は現代の単位制度や就職実績の文脈でしばしば形骸化するが、問いを育てるという本質は消えていない。
心理学者エリク・エリクソンが1968年に提唱した「モラトリアム」概念は、しばしば「猶予期間」という受動的な意味に矮小化される。しかし彼の原義は異なる。モラトリアムとは、アイデンティティ探索のための積極的な実験空間であり、複数の自己可能性を試す時間として設計されていた。日本の教育心理学者・溝上慎一(京都大学)は2014年の研究において、正課外活動への参加が自己の問い直しと批判的思考の深化に有意な正の相関を示すことを実証した。学問知と生活知が交差する場としての大学は、この実験空間を密度高く提供している。
では、この学びの構造を意図的に使うにはどうすればよいか。試してほしい小さな行為がある。専攻外の授業にひとつだけ潜ってみること。授業後に教員に「一つだけ問いを持って」話しかけること。旅先で出会った人の仕事を一時間だけ見学させてもらうこと。これらは一見、カリキュラム外の偶発的行動に見える。しかし認知科学者のマクリとブランドフォードは2012年、予期せぬ発見(セレンディピティ)が「準備された心」と「環境の多様性」が交差したときに統計的に高頻度で生じることを示した。偶然を待つのではなく、偶然が起きやすい構造を自ら設計することができる。
大学での学びを「習得」ではなく「変容」として捉え直す哲学的枠組みを、フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシー(ストラスブール大学)は「共在(être-avec)」という概念で提示した。他者とともにいること——それ自体が思考を生み出す場であり、知識の移転ではなく存在の問い直しが起きる空間だという。学びとは情報の蓄積ではなく、「自分が何者であるか」という問いが更新され続けるプロセスだ。大学はその問いを集中的に生きることができる、人生の中でも希少な時間である。その密度に気づくのは、多くの場合、その場を去った後になってからだ。
「もっと勉強しておけばよかった」という後悔と、「もっと遊んでおけばよかった」という後悔は、一見対立しているように見えて、実は同じ問いの裏表だ。どちらも、大学という時間を「もっと深く生きたかった」という渇望から来ている。大学とは答えを与える場ではなく、問いを持ち帰れるかどうかを試される場だった——そう捉えたとき、あなたの大学時代はまだ終わっていない。
DEEPER 学術的な観点で深めると
2011年、リチャード・アラムとジョシパ・ロクサは著書『Academically Adrift』で、米国の大学生2300人以上を追跡調査した結果、在学4年間で批判的思考力が有意に向上した学生は全体の36%にとどまると報告した。成長を阻んでいたのは学習時間の不足ではなく、「他の学生との非構造的な知的対話の欠如」だった。教育学者パスカレラとテレンジーニが約50年・2000本超の研究を統合した分析でも、認知的成長に最も寄与したのは正課授業の内容よりも「学生同士の偶発的な深い対話」であることが示されている。授業の外側にこそ、大学の本質的カリキュラムが潜んでいる。
米国の大学生2300人超を4年間追跡した調査で、批判的思考力が有意に向上したのは全体の36%のみ。成長の最大要因は「学生同士の非構造的対話」だった。(Arum & Roksa, 2011, Academically Adrift, Univ. of Chicago Press)
情報探索行動の観察研究において、予期せぬ発見(セレンディピティ)は「準備された心」と「環境の多様性」が交差する条件下で統計的に高頻度に生じることが示された。(Makri & Blandford, 2012, Journal of Documentation, 68(5): 684–705)
溝上慎一(京都大学)の2014年研究では、正課外活動への参加頻度が高い学生ほど自己の問い直しと批判的思考の深化に有意な正の相関を示した。学外経験が学内学習を補完する。(溝上慎一, 2014,『アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換』東信堂)
パスカレラとテレンジーニによる約50年・2000本超の高等教育研究の統合分析では、卒業後の市民的関与・批判的思考力と最も強く相関したのは正課授業への出席よりも課外活動と学生同士の対話だった。(Pascarella & Terenzini, 2005, How College Affects Students Vol.2, Jossey-Bass)
KEY REFERENCE この回の典拠
- Erikson, E. H. (1968). Identity: Youth and Crisis. W. W. Norton. モラトリアムをアイデンティティ探索のための積極的実験空間として定義した原典。
- Arum, R. & Roksa, J. (2011). Academically Adrift: Limited Learning on College Campuses. University of Chicago Press. 米国大学生2300人超の縦断調査により、批判的思考力の停滞と非構造的対話の重要性を実証した高等教育研究の基準作。
- Pascarella, E. T. & Terenzini, P. T. (2005). How College Affects Students, Vol. 2. Jossey-Bass. 約50年・2000本超の高等教育研究を統合し、課外活動と学生間対話が認知成長に最も寄与することを示した集大成的レビュー。
- Makri, S. & Blandford, A. (2012). "Coming across information serendipitously." Journal of Documentation, 68(5): 684–705. DOI: 10.1108/00220411211256030 / 情報探索行動の観察研究から、セレンディピティが偶然ではなく「準備された心」と環境の多様性によって構造化できることを示した認知科学的実証研究。
- 溝上慎一(2014)『アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換』東信堂 日本の大学生の学びを実証的に分析し、正課外活動が自己形成と批判的思考の深化に与える効果を論じた中心的研究。
- Dewey, J. (1938). Experience and Education. Kappa Delta Pi. 経験と学びの哲学的原典として、体験が知識を超えた認識変容をもたらすという現代体験学習論の源流。
- Nancy, J.-L. (2000). Being Singular Plural. Stanford University Press. 「共在(être-avec)」概念により、他者とともにいること自体が思考と存在の問い直しを生む場であることを論じた存在論的哲学の基盤作。
同じ「管理されない学び」という問いを、職場や組織の文脈に移したとき何が見えるか——「偶発的学習(incidental learning)」と組織文化の関係を次の記事で深めます。
いま立ち上がっている問いを、深掘り記事に。
読み終わった読者が立てた問いと、それに応える深掘り記事の連鎖です。